2016年7月8日金曜日

歩哨達と乗客達の同時

歩哨達と乗客達の同時。




ローレンツ変換のローレンツの戯言(ざれごと)。
動いている物体は進行方向に縮むとか縮んで見えるとかが、

ありえないことは、

ローレンツ変換のローレンツがした視野狭窄論理運用で、
どのように間違ったか、あとで説明(精神分析)することにして、

いまは、物体が進行方向に縮むとか縮んで見えることが
あっても構わないように、

物体中央と両端にだけ、注目する。
客車空間の中央と両端にだけ、注目する。



また、アインシュタインの仮説、
特殊相対性理論が信じられているので、

基準系と慣性系の時の流れる速度が、
座標上で違っても構わないように、

線路系の歩哨さん達と、
列車系の乗客さん達が

同じアナログ時計を持っていても、
秒針回転速度が異なって見えてもいいように、


いや、それよりも、そこの仕組みを今説明するのは早過ぎるので、
複数の単純な仕組みの重ね合わせとなるので、

電磁現象世界での相対性概念は、
ガリレオの相対性原理のより本質的なものの為、

相対性概念の背景となる、
英語やフランス語を勉強するときの、1人称・2人称・3人称を

知ってからとなるので、


注釈:
量子力学を座標に記述する場合、単数形ではなく複数形へ拡張が必要となる。
いまは、単数形だけで、単純トリックが説明できる古典力学と、
電磁現象によって情報がイメージとなる仕組み、その説明に最適な、
特殊相対性理論を信じた視野狭窄の精神分析(説明)をやっている。



線路系の歩哨さん達と、
列車系の乗客さん達は、

異なる秒針回転速度のアナログ時計を持っている。
1回転が60秒の一般的なアナログ時計ではない、ということ。
互いに、相手側が1回転に何秒かかるか不明とする。

固有時と、物理学者なら言うのかな。

腕時計と、その時刻を読み取る頭部の位置関係が、
相対速度ゼロのときにかかる1回転の時間。




線路系の歩哨さん達は1回転にα秒かかるアナログ時計。
列車系の乗客さん達は1回転にβ秒かかるアナログ時計。


相対速度をVとし、


線路系から見ると、

列車系の乗客さん達の持ってる時計は、見かけで
1回転にB秒かかる。

逆に、列車系から見ると

線路系の歩哨さん達の持ってる時計は、見かけで、
1回転にA秒かかる。

一応、アインシュタインの特殊相対性理論対応にしておく。





数字によって時刻が表示されるデジタル時計でも構わないけど、
1秒毎に数字が替る時間的間合いを、
角度で示せるアナログ時計は、

イメージのトリックに気付くには重要。

一度トリックに気付けば、デジタル数字、言語的処理しても構わない。

しかし、数学を言語能力でやってる方々が多いので、
ここは用心して、もっと、最初っからイメージで説明させていただく。



幾何学は数学の中では、イメージを使っているけど、
それでも世界を把握する己がいない。

音や光、鼓膜や網膜への衝撃。そして、皮膚への圧力。触覚。

自分の身体を幾何空間に入れる前に、
見えるイメージ、見ているイメージ、見させられてるイメージについて、
やっていこう。





それでは、時計の代わりに、ヒマワリの種を使おう。



数直線に等間隔でヒマワリの種を植える。t=0の数直線風景。

ヒマワリの双葉が顔を出す。t=1の数直線風景。

ヒマワリの茎が伸びる。t=2の数直線風景。

ヒマワリの花が、こちらを向く。t=3の数直線風景。




数直線を線路イメージと重ね、
数直線上を等速直線運動している客車をイメージする。

ここでは、客車の代わりに、
無蓋車(むがいしゃ、英語 Open Wagon)、貨車の一種をイメージする。


駅ホームを等速直線運動で通過する貨物列車。
無蓋車1車両に注目する。


駅ホーム屋根を改良し、線路を覆う形にする。

無蓋車には土を積んで、畝(うね)を作っとく。
柔らかい畝で、上からヒマワリの種を落とすと、
数センチ潜り込む。これで種植えとする。

線路を覆う屋根に、等間隔で穴を開け、
そこから垂直にヒマワリの種を落とす。


1つの穴からは1つの種だけを落とす。
すべての穴から、線路系同時刻に落とす。


やっていることは、
線路系等間隔の枕木と、
列車系等間隔の座席を、

別イメージで説明してるだけだ。

等間隔の枕木と、
等間隔の座席が、

存在として、どう対応するのか。
そして、線路系基準で座席間隔はどう見えるのか。
逆に、列車系基準で枕木間隔はどう見えるのか。

見えることと、存在の1対1対応について。
なんか、別次元の話が、あるらしいと、
いまは、感じてくれればいい。




ローレンツ変換のローレンツの戯言が流布する前は、

線路を覆う屋根に等間隔で開けた穴から落下したヒマワリの種は、
等間隔で、無蓋車の土に穴を開けたハズだ。

屋根に開けた穴が1メートル等間隔で、
無蓋車の全長が10メートルなら、

11個のヒマワリの種が無蓋車に乗っかるのは無理でも、
10個は乗っかって、種植えができたハズだ。

無蓋車に1メートル間隔で種植えができた。

駅ホーム屋根と無蓋車に相対速度あっても、なくても関係ない。

ガリレオの相対性原理の世界では、こうなる。




しかし、いまは、現場検証の重要性を数学者に説くでなく、
数学ができることが、物理学者としての能力だと思い込んでいるものが
跋扈しているので、

例えば、無蓋車がほとんど光速で駅ホームを等速直線運動で通過したら、
ヒマワリの種は1個とか、2個しか種植えができないということになる。

この間隔トリックについて後回しにするのは、
このページ冒頭で断りを入れたとおりである。



しかし、本題に入る前に
ローレンツ変換のローレンツの発言が戯言である可能性。

ローレンツの発言を再考慮する余地を持ちながら
考古学者の知る同時の結果に触れてもらいたいので、

海賊船と海賊船のすれ違いをイメージしてもらおう。




全長が同じ長さの海賊船同士。

一方の海賊船がわずかに上回る速度で追いつく。
相対速度は一定で、追い越しをしようとしている。

海面を上空から俯瞰するイメージ視線だと、


追いつき、追い越す瞬間、

2つの海賊船は、同じ長さにイメージされる。



しかし、上空から俯瞰するイメージ視線に
数学的厳密さを導入すると、

数学的には厳密だけど、
物理学を実戦で扱う戦争屋次元では、
厳密ではない、定義足らずとなるが、

戦争屋からすれば、数学者のやってることは机上の空論。


その数学的厳密さを導入して、
海面を見下ろすと、

一方の海賊船と同じ慣性系に自己を同一化し、
それでいて、3次元空間の己(カメラアイ)位置指定なしの俯瞰。

慣性系の代表者という、
3次元空間内に、己の位置存在が指定されていないのに、
一方の海賊船慣性系に自己を同一化した数学者視線では、

他方の海賊船は、進行方向に縮んでいるとか
縮んで見えるはずだから、

追いつき、追い越す瞬間でさえ、
他方の海賊船全長が短いとされる。


ここでの数学者とは、
観察対象を含む観察系に己を含まない超越的振る舞い、
まるで神のような行い、世界外からの視線を行っているもの。



このトリックの発生仕組みは、いまは説明しないよ。
パラドックスみたいなものが生じているのを意識しながら、

考古学者の結論に触れてもらいたいから。




海賊船と海賊船の相対速度の半分。
海賊船と海賊船が衝突地点に対して同じ速度で、
正面衝突する形のすれ違いで、

海面上空から俯瞰する視線の
数学的厳密さだと、

2つの海賊船全長が同じに見えることも書き添えておく。

もちろん、こんなことは、なんの役にも立たん。




理科教室に、

エナメル線のコイル。と、
棒磁石がある。

同じ長さ。存在としては同じ長さ。

電磁誘導の実験

電場側、磁場側、一方の慣性系代表者に自己同一化して、
デカルト座標と呼ばれる2次元座標に実験系を描いた数学者や、

19世紀生まれの方々は、ま、しかたない。

認知科学も、コンピューターゲームでの視点切り替えも
体験していないんだもの。経験してないんだから。


さあ、考古学者がどんな結論を出したか、
知る準備がだいぶできてきた。


あともうちょっとだけ、考古学者の結論を知る前に、
事前に、頭の中に用意しておいてもらうイメージを
先に書き出し、させてもらう。




海賊船と海賊船が、すれ違うとき。
敵海賊船に、一斉に乗り込む。

乗り込んで戦う側海賊達と、
それを船に留まって受ける防衛側海賊達。

どちらも船縁(ふなべり)に海賊野郎達が等間隔で並ぶ。



東京なら、四ツ谷駅と飯田橋駅の間で、

オレンジ中央線と
イエロー総武線の

複々線区間がある。

ほとんど同じ速度で、同じ方向に進む中央線と総武線。

いまはステンレスかアルミ車輌で、色イメージが、
この実際の現場では、あまり使えないけど。




駅ホームに等速直線運動で入って来る電車に
駅ホームに等間隔で並ぶ海賊野郎達でもいい。

この場合、電車は無蓋車のように天井もなく、
さらに、側面もない無蓋車とする。

そして、無蓋車の床面高さを、駅ホーム高さと同じにする。



駅ホームの黄色いラインに1メートル間隔で並ぶ海賊野郎達。

視覚障碍者用、黄色いラインから80センチも跳べば、

駅を等速直線運動で通過する側面なし電車に、
海賊野郎達が、一斉に、同時に、乗り込むことができる。



海賊野郎達が乗り込んだ瞬間を、イメージしてみよう。

海賊野郎達の頭部が、1メートル間隔に並ぶ。
海賊野郎達が全員右利きなら、

カットラス(Cutlass)は湾曲した刃を持つ剣である。
カットラスが、1メートル間隔で並ぶ。


足元を見よう。

側面なし電車の床には、1メートル間隔で目盛りが刻まれている
数直線がシールで貼られている。

ローレンツ変換のローレンツが言ってることが正しいなら、
場所によっては、1メートル目盛り刻みの幅に、
海賊2人が立っている。


頭部と剣は、跳ぶ前と同じ1メートル間隔を維持しているのに、
立ち位置は、1メートルの幅に、1人か2人の海賊が立ってる。

逆か、1メートルの幅に、0人か1人の海賊が立っている。
ま、どっちでもいい。


なんか、ローレンツ変換のローレンツは、おかしい。

それは、あとでちゃんとやろう。




いま重要なことは、間隔のことではなく、

一斉に、

海賊野郎達が駅ホームから側面なし電車に

乗り込んだことである。



海賊野郎達が駅ホームに等間隔で並び、
鉄砲で一斉射撃を、

等速直線運動してくる側面ありの電車に
浴びせるでもいい。

発射された弾丸は、銃口と1対1対応で穴を開ける。


参考動画雰囲気:

Last Exile Op
https://youtu.be/DkZc41n01Io?t=44
LAST EXILE 銃兵
LASTEXILE


幅ではなく、点に注目して、
まずは、ローレンツ変換のローレンツが発言した戯言を回避できることである。
詳しくは、これもあとで。

基準系や慣性系の代表者ではなく、
その空間に居る個々が、
線路系と列車系で、1対1対応で、撃ち合いをしている。

一斉に。同時に。



撃ち合いではなく、手を伸ばして、電車側面に触れることが
実際にやったら危ないけど、

駅ホームの黄色いラインに並んだ海賊野郎達が、
同時に、駅に等速直線運動してきた電車側面に触れることができる。

ここだけを感得して欲しい。

ここだけを感得して、あと1つだけ、
考古学者の結論を紹介する前に、
知るべきイメージを追加する。




ヒマワリの種。
ヒマワリの成長と数直線。の、イメージ。

ここに、等速直線運動する列車を加えよう。


駅ホーム屋根を線路を覆う改造をした線路区間を
列車が通過した。

ヒマワリの種が、いくつか落下によって同時に植えられた。

ヒマワリの種の植えられた間隔のことは、いまは問わない。



無蓋車の土の上で、ヒマワリが成長する。
無蓋車は等速直線運動を続けている。


線路系から無蓋車のヒマワリの成長を観察すると、
数直線に植えられたヒマワリより遅れて見える。



駅ホーム屋根からヒマワリの種を落っことした装置の長さが、
無蓋車貨物列車より長いとする。

駅と駅を結ぶ、アーケードのように線路自体すべて屋根にして、

要は、列車は有限区間幅だが、
数直線は無限。

無限長さのヒマワリ種、屋根から落下させる装置。
無蓋車貨物列車がないとこに落ちたヒマワリの種は、

線路脇の畝に落ちて、成長を始める。


無蓋車への落下距離と
線路脇への落下距離がわずかに違うが、

そこは本質じゃないんで、いまは無視して、

同じタイミングで種植えがされた。

しかし、線路上を動く無蓋車の土の上での
ヒマワリの成長は、数直線上のヒマワリより遅くなる。

完全な相対性じゃなく、双子のパラドックス。




ここでも、基準系と慣性系では、互いに、
相手の系の時計が遅く見えるという話や、

それでいて、地球からアンドロメダ星雲へ行って戻るだと
双子のパラドックスで、
なぜか再会したとき、地球に残ってる方だけ比較で年老いている

というのもあるが、すべては単純トリックがわかれば、
バカバカしいことになるんで、細かいことにいまは触れず、



でも、駅を速度Vで、
上り方向に離れる列車と
下り方向に離れる列車。

互いに、列車同士は駅から離れる。



相対性というより、対称性。が、維持できているよね。

列車と駅ホームで相対性を考える場合、

片方を動かないものとしている。





相対性に関与する要素が2つのときと3つのときを
ごっちゃにしてきたのが、

いままで、頭の体操として広まった、双子のパラドックスという法螺話。





電磁現象世界では、三角測量のやり方そのものが、もっと厳密になる。
ピタゴラスの世界では、三角形の内角の和は、180度。

でも、非ユークリッド幾何学。
球面等の表面、曲率のある平面では、内角の和が、180度にならない。
従来の常識が通用しない。


球面幾何学 - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/球面幾何学

球面幾何学(きゅうめんきかがく、英語: spherical geometry)とは幾何学の分野の一つであり、現在では非ユークリッド幾何学に分類される楕円幾何学の特殊なもの(球面での楕円幾何学)と認識されている。 アッバース朝時代のシリアの天文学者バッターニーが ...



それと同じような、空間の扱い方の変更が、

数学世界の三角測量から、
電磁現象世界の三角測量で生じる。

これが、アインシュタイン達が見逃した前提条件。土台。






数学の三角測量では、対象存在をxy平面座標に横姿で描ける。描く。

エジプト、古代壁画の絵じゃ、なぜか顔だけが横顔で、身体は正面。
「正面を向いた ... 顔は横顔とするが、目は正面を向いて描く。」
みたいなもんだ。どっか、変。

観察行為は、正面を見てするのに。

その変さに気付くのに、迂回の迂回、さらに迂回をやっている。


光速という情報をもたらす現象が、有限速度を持ったので、
やり方が、変わる。変更される。

情報遅延を考慮する必要に迫られる。

このことに気付かなかっただけなんだけどね。
ローレンツ変換のローレンツも、
アインシュタインも。

それにマイケルソンとモーリーも。


で、話、戻して、






無蓋車(中央と両端)にヒマワリが落下し、
線路上を移動する。

数直線脇で成長するヒマワリに比べて
数直線線路を走る無蓋車のヒマワリは、ゆっくり成長するイメージ。
アインシュタインの説が、本当なら。


線路系基準で、数直線のヒマワリと、
等速直線運動を続ける無蓋車上のヒマワリを、
描いてみよう。



図A

図A:

A4コピー用紙に数直線の線路を描いた。数直線は無限の長さがあり、
無限長さの直線をイメージすることも、描くこともできない。
そこで、両端を点点点で言語処理し、左右に無限に線路が続いていると、

言語記号で説明してる。



A4コピー用紙は、具体的な大きさがある。

A4サイズの大きさ

www.sizekensaku.com/kami/a4.html

A4サイズ. 210 × 297 ミリ

写真撮影は、上から見下ろす方向で iPhone6Plus で、した(やった)。

A4コピー用紙の下、写真では白地のコピー用紙を包んでいるのが、机表面。



写真撮影した私は、机の大きさを知っているが、
図Aの写真を画面で見ている貴殿は、机の大きさを知らない。

写真の外に無限に机表面が拡がってる感じがするハズだ。

机は物体的商品であり、画面上の情報ではないので、
有限で、実際の大きさがある。



貴殿の液晶画面の大きさ、拡大設定は、
実物に対しての、縮尺、地図の。みたいなもんで、

A4コピー用紙という規格化された大きさが写ってなければ、

撮影された絵の具体的大きさも、推測できないハズだ。




スマホカメラレンズは、視野角固定のようだ。

どれだけの高さから撮影したか、
スマホと机表面が、平行した面と面の関係だとすれば、

A4コピー用紙と、その周りを包む余白、木目調机表面の割合から、

スマホカメラレンズの高さも、計算で求めることができる。




カメラアイから垂直に下した画面中央に時計があったら、

カメラアイが、机から1光秒、30万キロメートル上空だったら、
1秒前の状況、事象を撮影していることになる。



数学で、黒板にxy座標を描いて思考実験するとき、
この奥行きによる情報遅延は、考慮、されてこなかった。

ガリレオの相対性原理じゃなくて、
電磁現象世界の相対性を考えるには、

この奥行きによる情報遅延の扱い方が、鍵になるのに。



机自体には大きさがあるけど、写真には、
机表面の何割が撮影されて映ってるかは、
貴殿は、商品としての机サイズを知らないから、わからない。


この写真で、


机表面      : 無限性。商品だから有限大きさなハズだが、有限大きさ不明。
A4コピー用紙 : 有限。メートル原器や光が1秒に進む長さ。物理測定可能。   

カメラアイからA4コピー用紙までの最短距離。垂線。
垂線が机表面を貫く位置が、

点となる。

無限と有限と点。

奥行き距離と視野角の関係が、情報の新鮮度となる。




第2次世界大戦。ヨーロッパの戦場。

偵察機が、森に隠れている敵戦車を発見。
無線で前線基地に打電。

前線基地では、敵戦車のいまの位置を知る。
厳密には、電波が届くのに要した時間分、

敵戦車の移動能力によって、位置情報は不確かになる。



特殊相対性理論のトリックがわかると、
量子力学の不確定性原理や、
シュレディンガーの猫。そこで見逃されたトリック。にも、繋がる。

で、話、戻して。


ちなみに、この机の商品サイズ

サイズ:幅600×奥行450×H320㎜
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図B

図B:

数直線線路の、画面上下に、緑の目印、大木を描いた。

数直線線路と大木は、同じ大地にあり、大地に対して動いていない。

その大木を、画面中央に見続けるということは、

数直線線路と同じ慣性系に、思考実験の観察者(観測者でもいいけど)が
イメージされる。


でも、写真撮影したカメラアイは、具体的に3元空間内に居たけど、

xy平面に描かれた数直線で思考実験すると、



思考実験している自分が、ついつい数直線に対して動いてるのかどうか忘れて
しまうので、わざわざ、緑の目印、大木を中央に描いた。



図C

図C:


等速直線運動している無蓋車を、書き加えた。

黒い粒々は、ヒマワリの種と見做してくれ。


同時刻に、種植えが、できた。


図D

図D:

無蓋車が、右にズレている。右に走っているということ。

無蓋車では、まだ、ヒマワリの種は芽を出していない。
一方、数直線線路脇では、ヒマワリは発芽し、双葉の緑色が見える。




図E

図E:

さらに無蓋車は、右に進み、無蓋車ではヒマワリの双葉が見える。

線路脇では、ヒマワリが、顔をこちらに見せている。





準備できました。



次のページ、考古学者の結論へ、どうぞ。
http://trickzionad.blogspot.jp/2016/08/archaeologist.html



mokuji ヘ







mokuji ヘ



 END





同時の認識方法


同時の認識方法



19世紀生まれの

アインシュタインや、
ローレンツ変換のローレンツ達が見過ごした前提条件。


見過ごした前提条件に気付けば、
21世紀の物理学が始まる。

量子力学を、いかに座標に描くか。その最初の試論となるだろう。


アインシュタインの提唱。

光速を基準に世界を描くことで、
ニュートンが復活する。


それではまず、ほとんどの20世紀理論物理学者達が
権威主義の低脳であったことを
確認してから、はじめよう。




特殊相対性理論では、

基準系と慣性系では、同時性が破綻するとされている。

これが簡単な間違い、早とちりであるのを確認し、
徐々に、単純トリックの本質に迫るとする。


まずは、同時の確認方法に、
3つのやり方があるのを紹介する。


まずは、言葉で。

1番目のやり方が、数学者の方法。
2番目のやり方が、戦争屋(システム屋)の方法。
3番目のやり方が、考古学者の方法。

注釈: 

戦争屋とは軍人のことではなく、イメージを扱うものとする。
いまは、漠然と、わけのわからないものとして扱ってくれればいい。
言葉でイメージを扱うものとして。



数学者が、頭の中で、数直線をイメージする。
数直線は無限性であり、普通は線分を代理として使う。

同様に、2次元平面や3次元空間も無限性であり、
普通は、その有限である部分を切り出し、イメージする。

現代数学の数学者なら、
空間を日常空間の視覚的イメージから切り離し、
言語能力だけで、無限性の空間そのものを扱うかもしれないが、

言語能力が、記号(単語)を扱うだけでは見落とす、見落としたものに
迫るのが、本稿の目的なので、

数学者なら、読み終わったあとに、

この100年の20世紀物理学者達の醜態が、
ゲーデルの不完全性定理の見本であると、
確認してくれるだろう。

俺は数学は、さぼったので、いまの段階では、
断定はできないので。数学の権威でないんで。
そこは、数学者に任(まか)す。

本稿を読み終わった数学者に。


数学者が無限性の空間から、
部分空間、有限空間を切り離し、
日常空間と同じ扱いができる空間を用意する。


目を瞑(つむ)ってみよう。

皮膚が内部空間と外部空間に、
3次元空間であると措定されている日常空間を分ける。


宇宙論なんて無視して、この宇宙ができて
150億年だ、200億年だという御伽噺(おとぎばなし)は無視して、

皮膚の内側は、有限空間。
皮膚の外側は、無限空間。


自分の身体を構成している有限な原子個数に注目して、
この原子1つ1つを、点と見做せば、

皮膚による境界面というのは、幻想的なものになる。


レオナルド・ダ・ヴィンチが、輪郭線ではなく、
スフマートという技法、濃淡で境界線を認識させたように。


皮膚による境界面は、言語的な明確な輪郭線ではなく、
点群の濃度さの認知、集まり具合の認知となる。

点群が、たくさん集まっている濃密なところが内部空間。
それ以外が、外部空間。



では、第1番目の同時認識方法、数学者のやり方を確認する。

視覚に頼らず、数直線上の2点を頭の中で指し示せば、
同時となる。これが数学者の同時のやり方。

宣言だけで、あるいは、

無限性の数直線や、
無限性の平面や、
無限性の空間の2点を指し示すだけで、同時となる。



閉じた線で、平面に絵を描けば、
丸でも三角でもいい。

多角形を線分で描けば、
輪郭線を構成する、すべての点群は、同時である。


そもそも、線分は両端と、その間に無数の点群がある。

線分を2次元的なノートや液晶画面に描けば、
その両端の点と、その間に挟まれた点は、同時と見做される。


あまりに、あたりまえのことで、くだらないが、

まず、数学者の同時を確認した。




2番目の戦争屋の同時は飛ばして、
3番目の考古学者の同時を紹介しよう。



真っ直ぐな線路を等速直線運動している列車をイメージする。

ローレンツ変換のローレンツが戯言(たわごと)、言ったので、
列車は進行方向に縮んでいるかもしれないし、
縮んで見えているだけかもしれないが、

実験物理学的に同時を見るとは、どういうことか。
同時を見る方法とか、状態をそもそも定義しないで、

風景を手続きなしで平面座標に描いた、

電磁現象世界の相対性概念を理解していなかった
19世紀生まれの方々の間違いなんだが、

いまは、これには触れず、迂回をする。



特殊相対性理論では、

線路上を動いている列車に乗っているヒトと、
線路が敷設されている地上に立っているヒトでは、

列車の内側にいるヒトには、同時に見えることが、
列車の外側にいるヒトには、同時に見えない。

これを同時性破綻と呼び、この衝撃的な事実から、
時間と空間を同じものとして扱う天才アインシュタインの話に入るが、

そこを待った(まった)、にしよう。



考古学者なら、同時をどう扱うか。

炭素14を使う。放射性炭素年代測定。

確か、太陽活動によって大気中の炭素14濃度が変動するのを
測定方法ができた後から知って、

年代が確かだと思われる発掘物を参考に
修正するようになったとか。

開発当初は、
生物死骸に含まれる炭素14の放射性半減期計算に夢中で、
生物が取り入れた大気や太陽活動の変動を
いつも一定だと見做す視野狭窄をしてたわけだ。


アインシュタインがした、と、される思考実験の視野狭窄。
本当は、アインシュタインは数学行列式を使って(演算して)、
その視野狭窄の失策をしたらしいんだけど、そこは飛ばして、

考古学者の同時の扱い方を使おう。



線路上を動いている列車。
列車というのは、車両が繋がったもの。

列車を、先頭車・客車・展望車の連結したものとする。


先頭車: 新幹線みたいな流線形。
客車 : 東京ー博多のだったら16輌編成だから14あるけど、いまは1車両。
展望車: 新幹線だと先頭車と区別できないんで、静止画で進行方向わかる様に。


注目するのは客車1車両。

客車中央から光子1つずつを先頭車方向と展望車方向に同時に放つ。


客車の両端、先頭車への扉と、展望車への扉に、
同時に光子それぞれが着く。

これが列車内のヒト。

列車外の線路が敷設されてる大地に立つヒトには、
最初に展望車への扉に光子が着くだった。

でも、ほんとうだろうか。

そこで考古学者の方法。



いままでは、列車内のヒトと、列車外のヒト、
2人に聞き取り調査しただけだった。


19世紀生まれの物理学者達は、マックスウェルの電磁方程式が、
ニュートンの世界観と素直に繋がらないので混乱し、

基準系と慣性系を代表した2人に聞き取り調査して、
混乱してしまったのは、しょうがない。

でも、ちょっと、冷静になれば、物理学なんだから、
実験すれば、いいんだよね。

数学者は、頭の中で、イメージして、
基準系の列車外のヒトがどう世界を見るかイメージし、
慣性系の列車内のヒトがどう世界を見るかイメージして

済ませちゃったけど、

数学者がしたイメージが、
実験物理学として正しいのものかどうか、

カメラアイを3次元空間内に実際に、位置指定して、
検証すればいいだけのこと。

思い込みから、視野狭窄して、
電磁現象とニュートンが、素直に繋がらないとしてしまっただけってことは、

迂回して、迂回して、さらに迂回して、気付くことになるんだけど、


まずは、ここでは、考古学者のやり方で、どうも変だったてことに
気付いてもらおう。


聞き取り調査は、
列車系代表者1人と、
線路系代表者1人のイメージだけじゃなく、

もっとたくさんのヒトから、イメージを聞き取り調査すればいい。

セカンドオピニオンを求めるのは、いまや、常識。


いや、そもそも、加害者と被害者のような、
2者だけからの聞き取り調査で、現場検証ができるだろうか。

基準系と慣性系を代表した2人からの聞き取りイメージだけで、
電磁現象の相対性理論を構築してしまったのが、
ローレンツ変換のローレンツやアインシュタインの間違い。

ローレンツ変換のローレンツの戯言と違って、
アインシュタインが提唱した光速基準での世界記述は、
方針は正しい。でも、前提条件をミスった。見逃した。



線路には枕木が等間隔で存在する。


ここでは数直線を使うんで、枕木を稠密に無限個、
線路に存在させる。


その枕木に歩哨(ほしょう)を立てよう。立たせよう。
すべての枕木に歩哨が立つ。


同様に、客車にも、無限の座席を用意して、
先頭車への扉と、
展望車への扉の間を稠密に埋める。


でも、いまは、客車の両端である2つの扉に、
乗客を座らせるだけでいい。




さあ、思考実験の始まりだ。


客車中央から放たれた光子が、展望車への扉に着いた。

枕木に立つ歩哨の1人が、目の前で、その光景を目撃する。


枕木に立つ歩哨は、

客車中央から放たれた光子が、先頭車への扉に着く光景は目撃しない。
彼の担当は、自分の眼の前で起こったことを、
自分の腕時計時刻を参考に記録するだけだ。



同様に、別の枕木に立つ歩哨が、自分の眼の前に起こったことを記述する。
この歩哨は、客車中央から放たれた光子が、
先頭車への扉に到着するのを、自分の眼の前で起きた時刻を記述した。




数学者がイメージした聞き取り調査では、
基準系と慣性系の代表者を相手にした。


基準系と慣性系の代表者は、客車両端が同時に見えてるわけだ。
だから、列車系の代表者は、同時だと証言し、
線路系の代表者は、同時ではなかったと証言しているわけだ。


一方、考古学者がこれから参考にする文書の、
文書記載者である枕木に立つ歩哨さん達は、
客車のどちらか一方の扉しか見ていない。

歩哨さん達は、2つの光子が、それぞれの扉に到着したのが
同時であったのか、同時でなかったのか知らない。


同様に、客車内で、
先頭車への扉に位置する乗客さんも、
展望車への扉に位置する乗客さんも、
2つの光子が、それぞれの扉に到着したのが、
同時であったのか、同時でなかったのか知らない。

自分の腕時計を見て、自分の眼の前で起こった事象の時刻を記載するだけ。




不思議だ。基準系や慣性系の代表者は、どうやって、離れた2カ所の事象を
同時であると認識したんだろうか。



考古学者は、記述された報告書を、
100年後に集めてもいいし、1000年後に集めてもいい。

1つの報告書を10年後に手に入れ、
もう1つの文書を1万年後に手に入れてもいい。

考古学者は、それぞれの文書がホンモノであるという信頼性さえあれば、
入手時期は、いつでもいい。

そして、報告書に記述された文字や、写真から、
事象の光景と、己の腕時計時刻とを結び付けた、報告、
2カ所の報告から、それが、同時であったか、なかったかを知る。


数学者と違って、列車系だ、線路系だの代表者とかいう、
どうやって、代表者になったか不明な、

それでいて、2カ所の同時性を手続きなしで知っていると宣(のたま)う
代表者の聞き取りイメージを信用してじゃなく、

ちゃんと信頼性のある報告書複数を集めて、
同時であったかなかったかを、考古学者は知った。


それでは、考古学者が集めた報告書にある文字を
写真イメージにしてみましょう。



光子それぞれが、離れた別の箇所にある扉に着いた時刻。

線路系2人の歩哨さん達の腕時計が同じ時刻を示したかどうか。
列車系2人の乗客さん達の腕時計が同じ時刻を示したかどうか。


同時性破綻が本当にあったかを、
次のページで検証しよう。



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mokuji ヘ








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